
祝島は山口県の上関半島に向かい合うようにして瀬戸内海に浮かぶ、神舞(かんまい)で有名な島です。
5月7日 原田とーじさんの住む祝島を蔵人皆で訪ねました。ついついとーじ(杜氏)さんと呼んでしまうのも無理は無く、なにしろ私が生まれる前からずっと八百新の杜氏だった人で、子供の頃から、とーじさん、とーじさん、と呼んでいたものですから。しかし、今期から杜氏の職責を杉本にバトンタッチしたので、ここでは、原田さんのことは“杜氏さん”ではなく、“とーじさん”と書くことにします。
とーじさんは今期も後継の杉本杜氏の後見人としてフルシーズン蔵に入ってくださいました。
口に出せば一人立ちを妨げる、と、言いたい事を我慢してじっと私達を見守ってくれたとーじさんにとって、自分が現場の責任を負ってきたこれまでより却ってしんどいシーズンだったかもしれません。正式に引退したとーじさんに、永年にわたり八百新の酒造りを支えてくださり、私達を育ててくださった感謝の意を表すため、揃って島まで出向いたのでした。
そして、まだまだ未熟な私達に期待以上に不安を抱いているに違いないとーじさんの、経験に裏打ちされた言葉を聞かせてもらいたくて…
「醪と話が出来るようにならんにゃあね」
いろいろと貴重な話を聞かせてくださった中、この言葉に、人生を賭けて酒造りを愛し続けてきた原田さんの真骨頂を見たような気がしました。

私達の来島を聞きつけて、20代の時から頭(かしら=杜氏の補佐役)として原田杜氏とコンビを組んでいた松村さんが、会いに来てくださいました。
往時とーじさんは、この祝島から10人近くの若い衆を引き連れて八百新に蔵入していました。やがて、原田杜氏と松村さんのみが残り、島の若い衆の代わりに私と杉本が蔵入して数年後の松村さんの引退でした。
「わしが辞めてから13年になるのお」と、松村さん。
へ〜、とーじさんの他はすべて社員の布陣になってから、もう13年になるんかあ。中村、中津が加わり後はアルバイトで編成する今の体制になって3年。改めて、季節労働の蔵人に頼らず社員が酒を造る体制の構築を目指してきた八百新酒造にとって、原田さんが果たしてくれた貢献の大きさを思わずにはおれません。
ぽんぽんと懐かしい固有名詞が飛び出して、昨日のことのような鮮明さで往時の八百新を語ってくれた松村さんでした。
松村さんいつまでもお元気で
!そして、たまにゃあ遊びに来てくださいよ。蔵もだいぶ変わったんじゃけえ
!
「ずっとは無理じゃが、電話くれたらいつでも行くけえ」と、最後に原田さんは言ってくれました。隣で奥さんもにこにこと頷いてくれました。
有難うございます。心に沁みます。健康に気をつけてください。いのちある限り八百新との縁はきれんよ、とーじさん!
「わしが漁をせんでも、まわりから魚をもって来てくれる」のは人格者の原田さんであってこそ。釣ったばかりの鯛やら鯵やらめばるやら。出来立ての祝島名物・石豆腐やら。ご馳走攻めでした。終いにはお土産までいただいて、これじゃあお礼にきたんやら、およばれに来たんやら分かりません。
お土産を両手でかかえて、雲間から差し込む光に浮かんだ“神の舞う”祝島を後にしました。
とーじさん、原田のおばちゃん(奥さん)、松村さん、ありがとうございました
!
- 2006/05/10(水) 07:42:23|
- 原田(元)杜氏のこと
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山口県上関町祝島の沖合いの伊予灘に100頭あまりのイルカが侵入してきたと、NHKの全国ニュースでやっていたね、と翌朝、原田英雄元杜氏に尋ねると、「うん、わしも見た。ニュースにならんけどしょっちゅう来よるんよ」と言われました。
原田さんは昨年まで52年の長きに渡り八百新酒造の杜氏を務めてくださった人物で、今年も後見人として蔵に入っていただきました。私が生まれる前からうちの杜氏であった原田さんに私達は酒造りのイロハを教えていただきました。
原田さんは祝島の漁師さんです。そして、祝島出身(熊毛杜氏)の最後の杜氏でした。夏場は農業をして冬場は酒を造るのがほとんどの杜氏のパターンですが、夏場は漁業をし冬場は酒を造ってきた杜氏もいるのです。別に原田さんだけではありません。
「イルカがようやってくるのは餌になる小魚が多い時なんよ」と、杜氏さん。最盛期よりは漁獲高は落ちたものの、祝島沖は瀬戸内海では指折りの鯛の漁場です。祝島のこと、熊毛杜氏のこと、そして原田さんのこと、過去15年間の八百新酒造の酒造り、は語りつくせないものがあります。
おいおい書いていきたいと思います。

- 2006/03/25(土) 21:54:49|
- 原田(元)杜氏のこと
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